羽生はいつからいた?

この前の王座戦、ニコ生が浦野八段と貞升女流1級でとても面白かった。
その中で、羽生二冠(今は三冠だけど当時は二冠だったw)の過去話があった。
今でこそ、トップ棋士と言えば羽生だが、20年以上前はそうじゃなかった。
それに気づいて、ちょっと不思議な気分になった。
羽生が将棋道場に通っていた頃、羽生に勝つオッサンとか普通にいた。
まあそれはわかる。誰でも、たとえ羽生であっても、最初から強いわけではない。
羽生が奨励会にいた頃、相当に有望視されていただろうけど、
中原や谷川を超えるビジョンがあったかと言えば、まあ無かったのではないか。
もちろん、そういう予測ができた人はたくさんいるだろうけど、「予測」でしかない。
羽生が18歳くらいで勝ちまくっていた頃には、周りの評価も高くなっていただろう。
しかし、それでもまだ無冠。信じられないけど無冠である。
将来的にタイトルを取ることが予想されるけど、現実には谷川や中原が争っている。
よく考えると、自分はその頃、ちゃんとこの世にいた。将棋を知らずに暮らしていた。
手塚治虫が死んだのが平成元年。相当前ではあるけど、自分は生きていた。
その自分がいた家と地続きの場所で羽生が将棋を指していた。
何か、「さすがにそれは違う世界線での出来事だろう」と思ってしまう。
七冠のニュースは記憶にないが、公文式のCMは(薄い記憶だけど)覚えている。
だから何と言われると返す言葉がない。
まあ、5年前の自分も、永世竜王が懸かる戦いを渡辺羽生がするとか知らなかったし、
突き詰めると、「今」とは何か、みたいな話になっちゃうね。
最近、自分より年下のプロ棋士を見て思うんだけど、
この人が引退するまでの棋士生活を、おそらくは見届けることができない。
ひどく寂しい。典型的な、忙しいと紛れてしまう感情。

王座戦五番勝負第4局その2

2012年10月3日 五番勝負 第4局 渡辺明王座 対 羽生善治三冠|第60期王座戦
指し直しで後手となった渡辺は△84歩だが、羽生は矢倉を選択。
羽生の先手矢倉は恐ろしく強い。
▲77金となった形が堅すぎた。
▲13歩成に逃げるしかないようでは辛(つら)すぎた。
△88同馬となった場所へ後手玉が逃げ込み、その耐久度が謎で面白かった。
▲66桂と打った手が素晴らしかった。△66桂も消して攻防手。
▲33金〜▲34金と、2手かけて2枚の銀を取る羽生。変態としか言いようがない。
▲32金と打ったその金は、▲63金となって角と交換されるまでになった。
敗勢になってからの渡辺の食い付きが凄まじい。
目を覆うような駒損をしながら食らい付く様は、命を燃やしているかのよう。
しかし、相手の力はあまりにも強大だった。
羽生は19期連続だった王座を渡辺に奪われたが、即座に挑戦・奪取。
この結果は、あまり意外ではない。最近の羽生は本当に強い。
一時期、もう本気の渡辺には勝てないのではないか、などと思ったこともあったが、
そういう空気は完全に消えた。