「嘘をつくことの罪は重いなあ」と思った。
思ったあとで気づいたのだが、この「罪」は、将棋用語の「罪」だ。
例えば「人を殺すことは重い罪になる」という文を考える。
重い刑罰が科せられるという意味にもとれるし、そうじゃない意味にもとれる。
たとえ警察に捕まらなくても相応の報いはあると考える人もいるだろう。
あるいは、殺した本人が特に嫌な思いもせずヘラヘラ生き続けるかもしれない。
この場合も、罪を犯した事実は変わらない。
さて、将棋の「罪」は、結果として報いを受けた場合に使われると思う。
例えば、飛車取りが見えずに放置したけど相手も見えてなかったというとき、
「あの飛車取り放置は重い罪だったね」とは言わない。
実際に飛車を取られたのなら、
「終盤は多少難しくなったけど、やはり飛車を渡した罪が重すぎたね」
などと言える。
もう少し突っ込んで考えてみる。
自分が不用意に打った歩に対して、相手は的確に咎めることができなかった。
結果は自分が勝ったが、感想戦では打った歩が酷い残り方をする順が見つかった。
この場合はどういう風に言うかなあ…。
「まあ本譜はそこそこ働いたけどね、成り捨ても利いたし」
「しかしこうされると、何とも罪深い歩だなあ、いやこれは打っちゃダメだよ」
そういえば盤上では「悪」という概念がないのかな。いや、悪手?
それで、最初の話に戻る。「嘘をつくことの罪は重いなあ」と思った。
これは、嘘をつくと後で酷い目にあうという意味だ。
道徳的に悪いことだという主張を含んでいない。
将棋用語を使わずに言えば、「嘘をつくとわりと露骨に酷い目にあう」くらいか。
将棋を知らない人が「嘘をつくことの罪は重い」と言えば、
ばれなくても嘘をついてはいけない、自分の心が痛む、などの意味かもしれない。
「自分の心が痛む」は「酷い目にあう」の範疇ではあるが、ニュアンスは違う。
ていうか罪という言葉の意味を深く考えたことがなかった上に
最近では将棋の文脈で見かけることがほとんどなので、実感としてはよくわからない。

以下適当(何を書きたかったのかわからなくなってきた)

将棋の文脈だと、ある程度「こいつのせいでこうなった」と判明しない限り
「罪」という言葉は出てこない。
盤上だと「悪いこと」をしたら必ず酷い目にあう。
「悪いこと」という表現は微妙だけど、悪手や緩手がこれにあたる。
将棋では、駒得という「実利」を重視する。
そこまで行かずとも、駒の働きや模様の良さを追い求めていく。