制限をかけることによるメリットがあるという発想がない

C言語で円周率を100桁計算するくらいのことはできるようになった頃、
C++のclassについて知りたい、使えるようになりたいと思い、色々調べた。
しかし、privateの意味がわからない。
外からアクセスできなくなるらしいのだが、どういう意味なのかわからない。
プログラマができることを減らしている。自由度が減っている。
それは絶対的に悪いことだと思った。
将棋で言えば、打った歩を成り捨てるくらい、ありえないことだと思った。
なので、これは難しすぎて今の自分には理解できないのかもしれないと思った。
そこまで難しくはないにしても、自分にとって嬉しいものでない可能性も高いと思った。
「書かれている日本語は読めて理解できるが、意味がわからない」というのは、
かなりきつい状況で、そこから先は読めなかった。
当時書いていたプログラムは、全体が脳のワーキングメモリに載る程度の規模だった。
それだと、確かにprivateなどの機能の恩恵を実感できることはほとんどない。
少し経って、もうちょっと大きいものを作ったり、ソースを再利用するようになり、
やっとそれらの機能が役に立つとわかるようなった。
今でも、そんなに大規模なプログラムは書いてないので、
何かの話を見かけて「ここまですることないだろ」みたいに思うことは多い。
でも「大規模な開発には必要なのだろう」と思えるようにはなった。