共感の負荷

相手が自分とは違う種類の人間だと思えば同情や共感はなくなる。このことは、相手に対して暴力的になってしまう危険性を含んでいる。その危険性を認識することは極めて重要だが、精神の安定のためには「違う種類」と切り捨てることも大きな役割を持っているように思える。
今の自分は、明らかに悪だとか間違っているとかそういう人に対しても、共感能力を発揮する(ことがある)。もちろん悪の行為に共感するという意味ではない。ただ悲しく、かわいそうだと思う。つらい。自分も環境が違えばそういうことをしたかもしれないから、あまり責めないでほしいと思ってしまう。