見えない暴力を知ること


ツイートしたけど、こちらでも。
まず、元の発言の意図は、直前のツイートを見れば明確だ。将棋を(仕事で仕方なくではなく)好きでやっている芸能人なら、将棋ファンにはそれがわかるから人気が出るだろうということだ。
ここで、「にわか」という非常に悪い言葉を使っているのが、誰にでもわかる問題点。この言葉を選んでしまう気持ちは、わからなくはない。自分の好きな将棋番組に「にわか」の芸能人が出てきたら嫌だ、という心配を一定数の将棋ファンが経験していると思う。しかし、この思い自体が認識不足である。万一「お仕事でやってるだけ」だったとしても、「将棋を踏み台にして稼ぐぞ」などと悪意を持っているわけではないだろう。ならば、その芸能人という一人の人間が将棋に触れる機会を持ったことは将棋界にとっていいことだ。実際的な問題はあるものの、その問題を多くの人が認識していると思うのでツイートには書かなかった。
やっと本論。僕が知らなかったのは、この発言で観る将(指さない将棋ファン)の人が傷つくということ。もちろん、観る指す問わず「俺、将棋クラスタの中ではニワカと思われてるのかな」と嫌な思いをさせる危険性をはらんだツイートではある。が、将棋が好きでどっぷりな人が、その「にわか」を自分のことだと思ってしまうのは予想外だった。
観る将の多くは、棋力で指す将(指す将棋ファン)に劣る。ただそれだけのことで、将棋が強い人からは想像もつかないほどに肩身の狭い思いをしていたのだ。だからこそ、「にわか」という言葉を見ただけで大きな傷を負う。「俺たち将棋が強いからよゆ〜」「将棋の面白さわかってるし〜」という僕も含めた将棋を指す集団の前に、常にビクビクさせられている、こんな酷い話があるか!
この(指す将からは)見えない(指す将からの)暴力をなくすことは不可能だろう。しかし、暴力の存在を将棋界の多くの人が知っていれば、わずかでもダメージの緩和につながるのではないかと思う。だから、多くの人に知ってもらいたいと思い、書いた。