囲碁が終局する理由

終局するというのは2つの意味がある。1つめは、有限の手数で必ず終わること。これは超劫ルールがあれば(同一局面が現れず、囲碁の局面の数は有限だから)明らかだ。2つめは、両方のプレイヤーがわざと手数を延ばそうとしない限り現実的な手数で終わること。以下、これについて説明する。
双方が普通のプレイヤーだった場合、普通の終局図になる。ここから、片方が終局を拒否して(パスをせず)打ち続けることを考える。
まず自分の地に打っていく場合は、生きるためには2眼が必要なので2目の地を残すまで打ったら終わりになる。死んでもいいならもう1回打てるのだが、次は自殺(反則)になるので打てない。もちろん相手は取ってくれない。
次に、相手の地に打っていく場合。相手の地ということは、打ち込んでも生きられない(そういうのを地というのだ)。つまり、相手は打ち込まれても全部取ってしまえばいい(相手はスコア的にも不利にならない)。そうするうちに、相手の石が増えて空点が減ってくる。すると、やがて「相手の地に打つ手は全て自殺手」という状態になる。
自分の地に打っても、相手の地に打っても、パスも含め2手に1つずつ空点が減ることになるから、一定手数で合法手がパスしかなくなる。双方がパスをすれば終局となる。
では、片方が最初から手数を延ばすための変な打ち方をするプレイヤーだったとしたらどうか。この場合、もう片方のプレイヤーはゲームをより有利に進めることができるだろう。相手が何をしてこようが、盤面の半分強を囲ってしまえばよい。それができないなら、手数を延ばすとか関係なく普通に負けということだ(自分が負けだと思えば投了という終局方法もある)。盤面の半分以上を制圧すれば、相手の行動によらず負けはない。あとは、自分の石が殺されないよう気を付けながら対応すれば、上述したように合法手がなくなって相手がパスしてくるから、それで終局となる。
実際にどのくらいの手数に収まるかというと、交点の数が19*19=361で、双方が協力して延ばさない限り361手以内にはなるのだと思う(コウが絡めばそれ以上もあり得るが極端には増えない)。これは、実際にやってみれば何となくわかる(囲碁のルールだけではなくゲーム性もある程度知る必要がある)。