九九の弊害

別に九九が悪いと言いたいわけではなく、代案があるわけでもない。
ただ、九九の弊害に最近直面した。
DSiの「ちょっと脳を鍛える」にある「計算20」をやった。
簡単な計算問題20個を高速に解くというもの。
問題の答えを書く間に次の問題を解いておくというテクニックが必須だ。
2+3や5*5などの問題は見た瞬間に答えがわかるので、書くスピードがボトルネックになる。
ゲーマーとしてタイムを縮めるのでなければ、まあまあ満足できる状況だ。
しかし、17-8や8*7では、明らかに時間がかかっている。
この点で、書く速度が変わらなくてもタイムが縮む余地があり、満足できない。
17-8というのは、7と8の差が1なので答えが9なのは明白だが、
小学生以外の時期に解く機会が少なく、自分は瞬時に9と書くことができない。
つまり、「差が1だから9なんだろうな」と一瞬考えてから書き始めるので遅い。
同様に、8*7というのも人生において頻繁に使う計算ではなく、時間がかかる。
ここで感じたのが九九の弊害で、「はちしちごじゅうろく」と脳内で詠唱して初めて
確信を持って56という答えを書くことができるのだ。
頭の中であっても、言葉を発するというのは恐ろしく時間がかかる。
「差が1だから9」と考えるなら、頭の回転が速い人ならそれなりに速いだろうが、
九九を唱えるとなると、もうどうしようもない。
小学校では色々な計算練習をするが、人生において役立つものはその一部だ。
そして、役立つものは繰り返し使っているため、見た瞬間に答えがわかる。
というか答えが書いてあるのと同じことになる。
実際のところ、「計算20」をしていて掛け算で一瞬詰まったとき、
九九を唱えず、感じたままに手が動くように計算を放棄していれば、大抵正解できる。
8*7などは、自分が小学生の頃、心の中で得意としていた計算であり、
間違った答えを見れば必ず瞬時に反応できるし、九九に頼らずとも正解は知っている。
ただ、昔から「はちしちごじゅうろく」と流れるように正解を書いていただけに、
今でも「はちしちごじゅうろく」と言わないと確信が得られない。
8*7の計算が、0秒でできるか、1秒でできるかは、
1秒しか違わないが、倍率にすれば大きく、「質」の違いを生みうると思う。
8*7なんて使う機会は少ないし、その計算の価値は低そうに見えるが、
そういう価値が低く計算コストも低いことを、超高速に行えないことによって、
何か高い価値を持つ思考ができなかったということが、あるんじゃないかと思う。
子供へ一律に教えるものだから、九九がもたらした利益は非常に大きく、
また損失も決して小さくないはずだ。
九九そのものについてのアイデアは持っていないが、これだけは言いたい。
歌の九九を覚えることは、万人向けでない。
歌はリズムを強制する。思考のスピードを上げることを阻害する。
言葉なら、時間がかかると言っても、速くする努力はできるが、
歌の場合、歌い始めでどうしても元のリズムを使うはめになってしまう。
計算の得意な中学生が、掛け算のたびに頭の中でメロディを流していたら、
と思うと、これはとてつもない損失の可能性に恐怖するしかない。
理想を言えば、九九の範囲くらいは見た瞬間に答えがわかるようになりたい。
これは少なくない人が訓練で身に付けられると思うが、できない人も多いだろうし、
また大多数の人にとってそもそも必要がないと思う。
問題はここのバランスで、個人的には、言葉に頼らない高速な九九を身に付ける一部の(わずかではない数の)人間がいてもいいと思う。
九九の計算が速いと何が嬉しいのかはわからないが、何かの価値を生みうると思う。