2人のうち片方は火曜日生まれの男の子

子供が二人いて、(少なくとも) 一人は火曜日生まれの男の子である。もう一人の子供も男の子である確率は ?

http://slashdot.jp/science/article.pl?sid=10/07/01/0036229

この問題を見て、第一感が「え、1/3だろ」だった。
これは誤答だし、それ以前に人としてダメだ。

この問題のポイントは、「火曜日生まれの男の子」という条件が、
対象となる2人兄弟の情報とは独立に選ばれているということだ。
上で紹介されている問題文にはそんなこと書いてないようにも見えるが、
何も書いていないというのは、独立だという暗黙のメッセージだ。
これは、知識経験の少ない子供や、数学に特段興味のない人ならともかく、
数学好きを自称する人間は決して言い訳のできないところだ。

この問題の答えは13/27だが、多くの人は直観に反していると思うだろう。
ただ、これを「直観に反している」と言うのは少し変だ。
この問題文は、一見フレンドリーだが、バリバリに数学パズル語で書かれている。
それに気づかない人は問題文の意味がわかっていないので、直観もくそもない。
また、この問題が示すシチュエーションは、日常生活ではまず現れない。
刑事ドラマで「犯人に火曜日生まれの男がいると判明しました!」なんて言ったら、
判明や発言に関する様々なバイアスがかかり、確実に別の問題になってしまう。
つまり、酷く「状況を想像しにくい」問題なのだ。

火曜日生まれの男子の問題 - Togetter
問題文の意味については、この出題がわかりやすい。
実際に問題文の通り試行できるという点でわかりやすい。
こう出題されて間違えたら、もう誰であろうが弁解のしようがないだろう。
この問題は、ちゃんと理解してないと出題ができないという特徴を持っていると思う。

ところで、本家Slashdotの問題文はどうなんだろう。
> I have two children, one of whom is a boy born on a Tuesday.
これだと、この人がどういう経緯で「男」「火曜日」を選んだのかわからない。
もし、『あなたの2人のお子さんのうち、ランダムに1人を選び、
その子の性別と生まれた曜日を言ってください』と指示されての発言なら、
その問題の答えは、普通に1/2となる。
知り合いの男性に「俺、火曜生まれで2人兄弟なんだけど、そいつ男か女かわかる?」
と言われたって、わかるわけがない。完全に1/2だ。

だから、「1/2」という誤答なら、まだいい。出題が悪いと言い訳できる。
それに対し、「1/3」という誤答をする人は、「火曜日」という条件が入ってない
バージョンの問題を知っている人だ。
自分も知っていて、初めて問題を聞いたときには混乱したが、
2人兄弟に対して「その中に男の子はいますか」と尋ねたシュチュエーションと
同じ論理構造を意味する問題だとわかったので、それを漫画化して理解を深めた。
状況のイメージができれば、特に難しい問題ではない。

しかし、今回はそのイメージを思い出さずに「1/3」とか思ってしまった。
何も考えてない証拠だ。
本当に何もかも忘れて何となく問題を見たなら、せめて「1/2」という解答でないとおかしい。
上で示したTogetterのまとめが非常にわかりやすい(特に問題文)のだけど、
いちおう自分のイメージを書いておく。

「2人のうち少なくとも1人は男、もう片方も男である確率は?」という問題なら、
「この2人は、『2人とも女』ではない、では『2人とも男』である確率は?」と
読み替えるのがいい。全く同じ意味。答えは1/3。
別にわかりやすくはなっていないと思うが、「数学っぽいな」と思う文体にすることで
日常的でない状況であることに気づき、油断がなくなると思う。
日常的な言葉遣いで非日常を描くのが引っかけポイントだ。

火曜日生まれという条件が加わった場合。
男と女の2人兄弟がいたとして、その中に火曜日生まれの男がいる確率は低い。
だが、両方とも男の2人兄弟なら、火曜日生まれの男がいる確率はその2倍近くになる。
だから、「少なくとも1人は火曜日生まれの男の子」という問題文から
「2人とも男の子である可能性が比較的高そう」と感じることができる。
また、この問題は、兄弟に含まれる男の子の人数を予想するのと同じことだ。
何にせよ、「火曜日生まれの男の子はいますか?」と質問したときに
どんな情報が引き出せるのかという数学の問題に帰着できると気づけば、
計算して答えを知ることは簡単だ。