駒落ちの上手はどう指すものなんだろう

将棋歴6年だけど、実際のところ対人戦の経験はそんなにない。
駒落ち上手で将棋を覚えたけど、あれから駒落ちはほとんどやっていない。
この前の将棋フォーカスで、つるの剛士が佐藤王将に飛車落ちで勝っていた。
つるの剛士はアマ三段で、指し手を見ても確かにかなり強いと思える。
しかし、佐藤が飛車落ちで負ける相手とは到底思えなかった。
緩めることはないと言っていたが、緩めているとしか思えない結果だ。
そのときは、そう思った。
http://blog.goo.ne.jp/igokishi-mimu/e/91b9c76ab42623bea0205ee7a04e07b8
囲碁の話だが、この記事を読んだ。
置き碁で指導するときも明らかな騙し手を打つのが嫌いです。」
この言葉は、自分にとってけっこうなインパクトだった。
将棋の駒落ちや、囲碁置き碁では、厳密には上手負けの局面が続くのだから、
上手はジリ貧を避けて必ず勝負手を放ってくるものだと思い込んでいたのだ。
将棋で、おそらく厳密には負けだろうという局面を指しているとき、
ガンガン勝負手を放っていくと、負けを早めることが多い。相手を楽にしてしまう。
「最善手」をひたすら続けて、離されないように付いていくのが良い。
ここで、「最善手」と鍵括弧を付けたのは、負けの局面に最善手は存在しないから。
勝ちの局面では、勝ちを保つ手が最善手だが、負けの局面では何をしても負けだ。
手を選ぶ基準がないということだが、それでも、できるだけ難解な順を選ぶ、
明快な負けを避けて、光があるかもしれない手を探す、それが「最善手」だ。
自分が平手で将棋を指すときには、相手を騙すような手がよくないとわかっている。
その1局の勝負という意味でも、罠をかけに行っては負けやすくなる。
しかし、駒落ち上手に関しては、罠が必要で普通のことだと思い込んでいた。
たぶん、佐藤康光が罠をかけて本気で勝ちに行けば、つるの剛士に勝てただろう。
しかし、罠をかけずに負けたということは、本気を出さなかったことを意味しない。
佐藤は、おそらく、全く緩めることなく「最善手」を続けて、そして負けたのだ。
将棋は、勝ちにこだわらなければ嘘だと思っていた。
駒落ち上手が本気で勝ちに行かない指導対局に、何の意味があるのかと思っていた。
しかし、勝ちを最優先にせずとも本気を出すことはできるとわかった。
そして、それをするには高い棋力が必要であることも痛感した。
弱い自分が駒落ち上手を持つことを考えていたから、罠が要ると思ってしまったのだ。
上手が下手を騙すような駒落ち対局がダメだとは思わないけど、
もっと上手の棋力が必要で筋のいい方法もあるということだ。
騙すのはアマ高段者でもできるのだから、プロの役割は決まっている。