お行儀よく書く意味って何なの

グローバル変数使ったりgoto使ったり。
今までの経験や勉強したことから、論理的に「これはダメだ」と思ったときは、
もちろんちゃんとお行儀よく書くようにしている。
問題はそうじゃないときで、ここであえて泥沼に突っ込まない理由がわからない。
変な書き方して何時間も無駄にした経験はたくさんあるけど、それでも懲りてない。
だって、行き詰まって、時間はかかってもその原因を突き止めれば、
それはかけがえのない財産になるじゃないか。
お行儀よく書いたことによる恩恵は、トラブルが「起きない」という間接的なものでしかない。
だからそれを軽視しがちになるが、別の見方をすれば、安全な道に甘んじることでもある。
将棋でも、「こういう手を指しては幸せになれない」という感覚を得るには、
実際に読みを入れてそういう手を指し、その上で痛い目にあうしかない。
たとえ薄い知識に従っただけの場合と指し手が一致しても、その中身が違う。
その差は、ギリギリの攻防で致命的な緩手となって現れるだろう。
―というのは将棋の話としても微妙かもしれないが、まあそういう感覚。
最短距離を避けたせいで、自分が出会えたはずのバクを見過ごすことが怖いのだ。
もっとも、これは「自分が起こしうる全ての失敗を経験できる」という
完全に間違った思いがあるから、考えてしまうことなのかもしれない。