そもそも将棋だって

将棋がゲームとして成立しているのも不思議な話。ルールしか知らない人がやっても、プロ棋士がやっても、100手くらいでどちらかの玉が詰むことがほとんど。たまに、千日手持将棋になるが、その割合は少なく、また狙ってそうすることも難しい。
これは、たとえ弱くても将棋をやっていれば経験的にわかること。
自分の場合、将棋を始めて1年くらいの頃、仕掛けが苦手で、飛先交換を繰り返すようなコンピュータに対して打開する能力がなかった。その当時でも、対人戦では毎回違う戦いになって面白かった。
棋力がもう少し上がってからは、その状況に応じて様々な手が作れる実感が出てきた。そして、仕掛けがわからない程度の棋力では、千日手に甘んじることすらできないことを知った。もし、対人戦で相手が待機策を採り仕掛けに困ったら、こちらも千日手を狙っていい。その状況で千日手にすることは、(相手にとってではなくこちらにとって)思ったよりも難しいだろう。将棋はパスができないので、隙のない形で待ち続けるのにはかなりの棋力を要する。
つまり、「千日手の心配は要らない、負ける心配をしろ」ということ。「自分が打開しなくちゃ」という義務感にとらわれるくらいなら、「千日手を奪えば俺の勝ちだ」くらいの気持ちで指したほうが楽しめると思う。
でもこういう悩みは少数派かな。ほんとに仕掛けがわかんなくて、緩い手を指しているうちに相手が万全になって仕掛けられて負けるんだよなあ。だからと言って、「仕掛けて少し悪い」と思っている仕掛けをするわけにもいかないし(そういうのも、やればけっこう難しくなるんだけど)。
ちなみに「俺様将棋弱すぎワロタ」という悩みは誰でも持っているだろう。その悩みをなくすには、将棋をやめるしかない。そもそも将棋を始めないという対策もあるが、個人的にはおすすめしない。