詰将棋のルールは、なぜこういうルールなのか

詰将棋の解答として、「1つの詰み手順を示す」という形式は妥当だと思う。
「初手のみを示す」では、あてずっぽうで正解できてしまう可能性が高いし、
「全ての変化の詰み筋を示す」では煩雑すぎる。

その上で、一般には複数ある詰み手順のうち、どれを示すのがいいだろうか。
まず、攻方の全ての手で、詰む手を指していることが必要条件である。
更に、それらに対する玉方の全ての応手について、詰むことを読み切っていれば十分であるが、それを「1つの詰み手順を示す」だけで証明することは残念ながらできない。

よって、妥協案として、詰みを読み切っていれば簡単にできることを義務付ける。
例えば、詰み読み切るときに辿った手順が一番長い変化を選ぶようにする。
ただし、詰みを読み切ることは、攻方が最短手順を選ばなくても可能なので、
この長さは一意に定まらない。

さて、こうして得られた手順を、一般的な詰将棋のルールに照らしてみると、
無駄な合駒をしたり、変化別詰を答えてしまったりする可能性がある。
これらは不正解とされてしまう。

無駄な合駒を許可してしまうと、さすがに影響が大きすぎるので、
これはルールとして付記することになるだろう。
変化別詰については、解き手に玉方最長を義務付けることになる。
最長手順を求めることは、詰ますためには不要である。
でも、最長に逃げることは自玉が詰んでいるときの勝負手になるかもしれない。
そういった力も試されるのが詰将棋だと言うなら、最長を義務付けてもいい。

細かいところで、駒余り、迂回手順、成不成の非限定、2手変長などがあるが、
これらはそれほど本質的な問題ではなく、
詰将棋マニア以外が解くときなら、正解扱いでもいいと思う。

まとめ。
攻方王手・玉方最長・無駄合禁止で詰めば正解。

あ、初心者用の、無駄合いの厳密な定義は欲しいな。
マニアックな無駄合いまで網羅するものではなく、頻出する無駄合いだけの。
ここに示したものは無駄合いであり、これを選んだら不正解になるが、
それ以外の無駄合いは、してもしなくても正解扱いというやつ。
まあでも、例を示して「こういうのが無駄合いです」よりわかりやすいのは、
無理だろうなあ。わかりにくいなら、厳密である意味が薄れてしまう。

まとめ。
無駄合い死ね。

余談。
作り手に、余詰めがないこと、持ち駒が余らないことを義務付けるのは、
んー、そういう美学なのだろう。
素人考えだと、駒が余るような詰み筋を詰将棋の本で勉強できないのが不満だけど、
正解手順には現れなくても読みに必ず現れる変化で表現する方法もあるか。
5手詰しか解いてないのにこんなこと書いてもアレだが。