私はどうやって将棋が強くなったか

小学生のとき

本当にたまにだが、父と将棋をした。
頭の回転が自分の100倍も速いわけはないのに、信じられない強さ。
盤上全てを見透かされているような感じで、全く勝てる気がせず、指すのが嫌だった。
三目並べのような時間をかければ読み切れるゲームは好きだったが、
将棋は何が何だかわからないし、覚え方の想像もつかない。
今にして思えば、ルールを当然のように知っていたことや、
木の盤駒とマグネット式のポータブル将棋が家にあったことは大きい。

中学生のとき

将棋部に入った。といっても、本当に掛け値なしの帰宅部
帰宅部なので、自分はおそらく将棋部で一番強かった。将棋部でない人には負けた。
初手から▲26歩〜▲25歩とされたときの受け方がわからなかった。
なぜ自分は強かったのか。
矢倉の形を知っていた(組む手順や手順の意味は全くわからなかった)。
意味はわからないが他にすることもないので飛車先の歩を交換していた。
香車に対しては歩で受かる、飛車先交換も歩を打てば収まると知っていた。
これらのことを知っている人は少なかった。
将棋が好きで入部した人はいないので、将棋をすることは多くなかった。
たまに指すときには、タダ取りの見落としで勝負がつくことがほとんどで、
それではつまらないので、「待った3回まで」というルールを使っていた。

2006年夏

2週間くらい2人で将棋を指しまくる機会があった。
相手は一般人の中でもかなり弱く、最初は四枚落ち(私が落とす)の手合いだった。
そのうちに2人がかりで思い出せば感想戦ができるようになり、
手順を記録してないのに再現できて、かっこいい、嬉しいと思った。
実力差はどんどん縮まり、2週間後には角落ちで私が勝てなくなっていた。
驚いたことに、格下の相手と指しただけで自分の実力がめちゃくちゃに向上した。
それまでAI将棋のレベル1にも歯が立たなかったのが、実力で勝てるようになっていた。
今まで何とも思わなかった「手得」を、「手得したい」と願えるようになった。
矢倉を組む手順も、どの手順でも同じとしか思えなかったものが、
(正解がわかるかどうかは別にして)考えることができるようになった。
この頃までは、何でも矢倉。

2006年度末

あの2週間の後は、本当に少しずつしか強くならない。
Bonanza1.2のlimit nodes 5000やAI将棋のレベル2と、何とか勝負になる程度。
物心ついた頃からBonanzaを見ていたため、角切りが普通の手という感覚だった。
中井広恵の駒は自然に動かしましょう」を最終回付近で見始めた。
将棋講座やNHK杯のような、一般の人にはわけのわからない番組を楽しめる。
将棋の言葉が「意味不明な呪文」でなくなっている。
期せずして、小学生の自分が理解できなかった領域に入ってしまった。
NHK将棋講座の詰将棋で「5分で2級」などという目安が言われるが、
あれだけで判定してみると、強めの3級くらいだったと思う。
当時は、詰めろや必死の言葉は知っていても、よく理解できていなかった。
光速の寄せ1」の第2問、歩先に金を差し出して
「△49同歩成は詰めろにならず、△49同飛成なら、一回▲同銀と取ることができる」
というのが、頭がこんがらがってよくわからなかった。
例えば、敵玉が受けのない2手スキで、更に飛車が入れば即詰みという状況なら、
この解答通りに指せば勝ちになり、それ以外では負けになる。
今はそういうことがすぐにわかるが、当時は終盤でも駒得でしか速度を稼げなかった。
プロに通用するレベルの画期的な戦法、藤井システムに憧れていたが、
この頃には既に下火となっていたのが残念だった。
角道を止める居飛車党、対振りなら急戦。

終盤力はかなり上がったが、相変わらず5分で2級の詰将棋に苦戦する。
振り飛車党、基本は四間。相振りなら向かい、隙があれば中飛車
矢倉も好きで、場合によっては指すが、知識が全く足りてない。
将棋を始めた頃からオールラウンダーに憧れているが、居飛車は難しい。