「いつもの私なら回避するべきやったけど」

(追記)コメント欄も参照のこと
コラム(咲阿知賀編その3)
TVアニメ 【咲-Saki- 阿知賀編 episode of side-A】 第12話・約束
阿知賀編12話のあのシーン。当時はルールも知らなかったので、怜がいなければ玄は和了れなかったと当然のように思っていた。ところが、上の記事を読むとそうじゃないらしい。
時間をおいて何回か読んだが、怜の台詞「いつもの私なら回避するべきやったけど」の意味がずっとわからなかった。普通に読めば、玄が照から直撃を取ることに手を貸すのをやめるのが「回避」だ。が、その場合「回避」すると玄がツモ和了りしてしまう。これは千里山にとってデメリットしかない。リスクが減るなどのメリットがないのでは、回避とは言えない。
照が八萬を切った時点で、三巡先を見ている怜にとってはポンが最善なので、回避するとしたらそれより前だ。五索と五萬を切ったことだとしたらどうだろう。
まず、トリプルをやった結果として五索と五萬を切るように変更した場合。これは八萬を残すのが目的だろう。怜は和了りに行くなら三色同順チャンタ(平和は両面待ちがなくて厳しそう)。どちらにしろ、八萬を切ることは考えられ、その場合ポンできなくなる。ただ、このトリプルでも、怜はすばら先輩の八萬チーからの八索切りを見ていたはず。怜がこれを鳴いて安牌を捨てれば実際と同じ結果になるので、改変する意味がない。あの「ドラを切れ」と言っているような演出の五索・五萬切りだが、そうしなくても玄がドラを切ると怜は知っているのに手を変えるのはリスクしかない。
次に、最初から五索と五萬を切る予定だった場合。「阿知賀は赤ドラを中心に手作りするから、四索は出にくいだろう」というような考え方はあるかもしれない。あとは、阿知賀がドラを切って状況を打開してくれるなら、それに協力する。そういう意味合いもなくはないか。この場合、結果的には毎回一巡先しか見ないのと同じことになった可能性がある。
だが、仮にそうだとしても、三巡先を見た意味がないとは言えない。例えば怜がAとBの二者択一で迷っていた場合、「Aで一巡先を見て失敗したからBを選び成功した」と「Aで一巡先を見て成功したからAを選び成功した」が考えられる。この後者を「一巡先を見た意味がなかった」と言うのはおかしい。
つまり、「怜は五索・五萬を切る賭けをトリプルで試した(そしてたまたま成功した)」と解釈すれば、この場合も三巡先を見た意味があると言える。まあ、そのときたまたま意味があったかどうかは、この検証において証拠とはならないんだけど。照が振り込んだのは、玄のドラ切りだけで説明がつく。
ということで、一つの納得できるシナリオが、「玄のツモ和了りを照からのロン和了りに八萬ポンで改変、いつもなら(照だけでなく)玄が和了る結末も回避していた」。
回避の方法がやや問題で、鳴くチャンスもなさそうだし、五索を捨てないくらいで玄がドラ切りをやめると怜が思ったとも思えない(玄が切ったのが赤ドラだったならともかく)。あるいは単に、回避方法を考えるまでもなく、玄の和了りを照への直撃に変えるのが最善という判断だろうか。しかし、怜の「今は削りたい相手がいる」という台詞は、「削りたい相手がいなければ回避していた(できていた)」と聞こえるのだ。
ただ、「回避していた」でなく「回避するべきだった」なので、自分の聞き違いだったかもしれない。当時は麻雀を知らなかったので、意味を勘違いしていた台詞は12話だけでもいくつかある。当時の印象は強烈なので、間違って受け取ったイメージが今でも残っているのだ。
新道寺への差し込みは、回避にあたるだろうか。2位狙いなら、3位阿知賀の点数を増やさないことを考える。照が捨てた八萬をポンせずすばら先輩に鳴かせ、九索を雀頭にするつもりのすばら先輩は八索を切る、怜は南をツモって九索を捨てる。ここで、怜の意図を察したすばら先輩は九索ポンから一萬切りで単騎待ちに切り替える。そして怜が二萬で差し込む。うーん、さすがにこれは、追加で三巡先が読めても(運が良くないと)無理か。玄か照が和了る未来しかないなら、すばら先輩の手牌を知る機会がない。玄も照も和了らない未来があるなら、単にそちらを選べばよい。
ところで、怜は七萬が照の当たり牌でない確信があったのか?玄の和了シーンしか見ていないなら、それほどの情報は得られないはず。照はドラなしで6飜が必要なので、捨て牌からしても七萬が当たるとは考えにくいが、例えば 7m7m5p6p7p東東東北北中中中 なら、リーチ・ツモ・東・中・三暗刻で6飜だ。