アニメの立ち位置が変化している?

タイトル若干おかしい気もするけど。
ここ数ヶ月で顕著になってきた。去年の11月にツイートで「のんのんびよりは癒し」と発言した。そのときも、「自分にしては珍しいことを思ったものだ」と思ったのだが、今では「アニメは救い」とまで思うことがある。
今期見ているアニメのうち、ズヴィズダーと桜TrickGJ部あたりが目立つところか、今までなら見なかったようなアニメを見ている。共通しているのは、内容がないこと。いやもちろん内容はあるんだけど、自分が求めていたような内容がない。
例えば、咲は強烈な面白さがあるし、ゆゆ式は丁寧な描写が素晴らしい。そういう、30分を費やす価値があると思えるアニメだけを継続視聴するようにしてきた。今でもそういうアニメは以前と同じように視聴している。
今は、それに加えて、
(ここまでを2月の初め頃に書きかけていた。以下続きを書く)
加えてGJ部とかを見るようになったわけだ。いや続きを書くと言っても、もう3ヶ月経ってるんで、シームレスに書くことはできない。まあ書けるだけ。
ズヴィズダーは後半予想外に面白くなったけど、やはり大好きなタイプではない。将棋で言うと、奇跡的なバランスの右玉で完勝した感じ。見てよかったと思うけど、1年前の自分だったら継続視聴できなかったと思う。いや、実際はどうだったかわからないんだけど、そういうイメージがある。でもそうか、ケイトだけでなく他のキャラもみんな魅力的なんだよね。うーん、わからん。
桜Trickは、水着回がすごくつまらなかったので、内容的なことの他に服の存在が大きいのだと思う。制服や普段着はかわいいし、その描写がいいアニメだった。で、以前の自分がそれだけでこのアニメを見たかというと、まあ「時間がないので2話で切った」とかかなあ。2月は体調が悪かったので、ボーッとアニメを見てるような時間がけっこうあった。今のアニメは(0話切りされないようなものなら)みんなちゃんと作られているので、半クール見れば残りも見たくなるのは必然に近いかもしれない。
あれか、単に時間が増えただけか。いや時間は増えてないんだけど、気持ち的に。ここ3ヶ月くらいプログラミングしてなかったから、「今からの30分、きんいろモザイクを見るよりはプログラミングしたほうが有意義ではないか?」のような思考が出てこない。その意味では、もう時間は元通りに減ってしまったかもしれない。実際、春アニメに手がついてない。
ところで、きんいろモザイクは時間があっても切ったんじゃないかと思う。何というか、本当に内容がないように感じて。いくら時間があっても、それを見ようとは思わない。……ただ、やはりこれも半クール見れば残りを見たくなる、ような気がしてきた。カレンが出たら面白くなるパティーンでしょ(カレンが出る直前で切った)。そうじゃなくても、だんだん作品を理解してくると楽しめるようになるだろう。
初回だけでは理解できないアニメが意外と多い。囲碁で言うと、ルールは知って納得したが、「ああこういうゲームなのか囲碁は」という体験をしていない状態。未確認で進行形がそうだった。いい作品であることは一目でわかるが、「だから何なのか」がわからず「初回を録画保存すればそれでいいか」となった。2話で切って5話から再開、最終的に冬アニメで一番よかった。「内容がない」んじゃなく「見る目がない」んだ。
ああ、話が逸れている。自分にとってのアニメの位置が変わっているという話だ。いや、全然違う話してたじゃないか。のんのんびよりは時間がなくても見るよ。見たときに「癒し」とか思うようになったのはどういうことか、を書くつもりだったんだ。
該当する作品は、のんのんびよりの他には、GJ部とか桜Trickとか。もちろん程度問題だけど。癒されるということは心がアレなわけで。のんのんびよりに出てくるようなことを、自分は持っていると以前は思っていた。それが最近では、持っていないと思ったり、持っているけど失いそうだと思っている。
きんモザちょっと見たくなった。まずは、ごちうさ